Ⅰ列王12、13、14章 ・ ルカ1:26-56
『誘惑と失脚』
【Ⅰ列王 12:26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。
12:27 この民が、エルサレムにある【主】の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」12:28 そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」】
①ヤロブアムは、北イスラエルの王になりました。
主はそのヤロブアムに対して
「ダビデの様に主に従うなら祝福する」と約束されました。(11:38)
しかしヤロブアムは、主に従うよりも、
自分の人間的な打算と策略で、権力をつなぎとめようとしました。
これが罪となり、ヤロブアムの子孫は失脚していくのです。
人間には誘惑が与えられることがあります。
「純粋に主が喜ぶこと」をして「損をする時」に、
「その人の信仰」が明らかになるのです。
「主が喜ぶこと」を選ぶことは難しいかもしれません。
しかし「打算は当たり前」と考える人は、
ヤロブアムと同じように、失脚していくのです。
『素直な信仰』
【ルカ1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。】
①マリヤは、天使から「イエス様の誕生」を聞いた時、
「おことばどおりこの身になりますように」と答えました。
これは「単純で素直な信仰」ですが、
その意味することは「非常に重大なこと」です。
マリヤは処女で子供を産み、
人々の無理解とさげすみを受け、
大変な人生に進むことを「承諾した」ことにもなるのです。
「素直な信仰」は、それを持ち続けようと思う時に、
限界を感じることがあります。
しかし主の助けを頂きながら、
「素直な信仰」を持ち続ける時、
主はその人を「豊かに祝福」されるのです。
主は「そのような信仰」を持つ者を、
マリヤを助けたように、「助けて下さる」のです。(1:45)
藤本先生