ヨシュア16、17、18、19章 ・ マルコ2:1-22
『すべきことを、まずしていく』
【ヨシュア17:14 ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「【主】が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」17:15 ヨシュアは彼らに言った。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから。」】
①ヨセフ族は、自分たちは数が多いのに、
どうして一つの割り当て地しか与えられないのかと、文句を言いました。
しかしヨシュアの答えは、
「あなた方が多くて強いのならば、山地を切り開くべきである」というものでした。
すべきことをして、願ったならば、かなえられたかもしれませんが、
すべきことをしていない者には
「すべきことをまず、すべきである」と言われたのです。
「与えられた責任」の範囲を見極めましょう。
外を見る前に、まず内側を固める(責任を果たす)ことが大切なのです。
『罪を自覚した者の恵み』
【マルコ2:16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」2:17 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」】
①独善的で自分が正しいと思い込んでいる人は、自分に神様が必要であると思いません。
イエス様は、自分の罪を自覚し、救いを求める者のために、
自分は来たと言われたのです。
私たちが、自分の罪や弱さを考え、悩み苦しむとするならば、
イエス様は「その人の近く」にいて、
憐みと赦しを与えて下さるのです。
藤本先生