2018 / 10 / 5

イザヤ19、20、21、22章 ・ ヘブル9:11-28

Isaiah 19-22 / Hebrews 9:11-28

『主に喜んで頂きたいという純粋な心』【イザヤ22:4 それで、私は言う。「私から目をそらしてくれ、私は激しく泣きたいのだ。私の民、この娘の破滅のことで、無理に私を慰めてくれるな。」・・・22:12 その日、万軍の神、主は、「泣け。悲しめ。頭を丸めて、荒布をまとえ」と呼びかけられたのに、22:13 なんと、おまえたちは楽しみ喜び、牛を殺し、羊をほふり、肉を食らい、ぶどう酒を飲み、「飲めよ。食らえよ。どうせ、あすは死ぬのだから」と言っている。】
①イザヤは「真の預言者」であり、主の悲しみをを思い、自ら嘆き悲しみました。人々の造り主に対する「霊的反抗心」を心から悲しんだのです。しかし多くの人々は、主の御心を考えることもなく、今さえ良ければよいと、刹那的に生きていたのです。
②あなたは主が喜ばれるように生きたいですか。自分の願うままを生きたいですか。 このことは、主を信じた後の訓練によって、立場がはっきりします。しかし最も大切なことは、心の奥底で「主に喜ばれたい」という純粋な心なのです。

『主が計画された、必ず起ること』【ヘブル9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。】
①私たちには、死後「裁き」を受けることが定められています。そこで主によって、良いことも悪いことも明らかにされ、正しく裁かれるのです。そのことは必ず起こることです。
②キリストの十字架の贖いも、天の父にとっては必然でした。 このことは私たちにとって「大きな感謝」です。(このことによって私たちは救われましたから)そして再臨の約束も同じように必ず起きることであり、聖書は「必ず、再臨の備えをするように」と、勧めているのです。

 

藤本先生