2018 / 10 / 26

ミカ123章 ・ ヨハネ1:19-51

Micah 1-3 / John 1:19-51

『罪を裁き、民を赦されるお方』
【ミカ2:1 ああ。悪巧みを計り、寝床の上で悪を行う者。朝の光とともに、彼らはこれを実行する。自分たちの手に力があるからだ。2:2 彼らは畑を欲しがって、これをかすめ、家々をも取り上げる。彼らは人とその持ち家を、人とその相続地をゆすり取る。2:3 それゆえ、【主】はこう仰せられる。「見よ。わたしは、こういうやからに、わざわいを下そうと考えている。あなたがたは首をもたげることも、いばって歩くこともできなくなる。それはわざわいの時だからだ。」・・・
2:12 ヤコブよ。わたしはあなたをことごとく必ず集める。わたしはイスラエルの残りの者を必ず集める。わたしは彼らを、おりの中の羊のように、牧場の中の群れのように一つに集める。こうして人々のざわめきが起ころう。】

①ミカは、神を怒らせた罪をさらけだし、神の裁きの確かさを警告しました。
しかし12節を見ると、捕囚の期間の後、少数の残された者たちがいることを告げたのです。
主はいつまでも怒ってはおられません。主は、罪を赦し癒されるのです。

『私たちの本質を見ておられるイエス様』
【ヨハネ1:42 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」】

①イエス様はシモンに出会った時、彼を「ケパ(岩)」と呼ばれました。
シモンペテロは、当初「岩」のような安定した人物ではありませんでした。
感情的であり、極端に走ってしまう弱さを持っていたのです。
しかし聖霊を受けた後、彼は変えらました。

・・・イエス様は私たちの「本質」を見ておられます。
それは時に、過去の姿ではなく、将来の姿を見て、語られることがあるのです。

 

藤本先生