2017 / 11 / 28

エゼキエル57章 ・ ヨハネ20:1-18

Ezekiel 5-7 / John 20:1-18

『悔い改め』

【エゼキエル6:9 あなたがたのうちののがれた者たちは、とりこになって行く国々で、わたしを思い出そう。それは、わたしから離れる彼らの姦淫の心と、偶像を慕う彼らの姦淫の目をわたしが打ち砕くからだ。彼らが自分たちのあらゆる忌みきらうべきことをしたその悪をみずからいとうようになるとき、6:10 彼らは、わたしが【主】であること、また、わたしがゆえもなくこのわざわいを彼らに下すと言ったのではないことを知ろう。】

①裁きによって、人々は自分たちの罪深さに、やっと気がつくようになり、
神様に逆らったことを心から悲しみ、神の憐みと助けにすがるようになりました。
悔い改めは単に考え方を変えるだけではなく、
心や態度、方向を変えることなのです。
そこには罪対する、心からの悲しみと後悔があり、
主の願いに従いたいという、強烈な思いが湧き上がるのです。

『イエス様に気がつく時』

【ヨハネ20:15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」20:16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。】

①復活されたイエス様を、マリヤはイエス様だと気がつきませんでした。
私たちも、イエス様が身近におられるはずなのに、主の働きを気がつかないことがあるのです。
しかしイエス様はマリヤに語り掛け、マリヤは気がつくことができました。
私たちも、イエス様が語りかけてくださる時、イエス様の働きに気がつくのです。

藤本先生